昭和47年02月20日 特別奉修委員



 どうでもおかげを頂かなければならんのですから、どうでもおかげを頂かねばならんという姿勢をやはり示さなければおかげになりません。いわゆる背水の陣ということを申しますね。後が川だというね。そのそこに陣を構える。もう後には引かれない。前に進むよりほかにないということなんです。背水の陣ね。もう信心には、どうでもおかげを頂きたいならこの精神が信心の一つ筋金になっとかにゃいけません。
 今朝からも久富さんが起きがけにお夢を頂かれた、お知らせを頂かれたというのに、あの金網の中で試合をしなければならない。だからその、もう逃げるわけにはいけん。どうでもやっぱその相手を取り組まなければいけない。ね、そうゆう気持ちになれば安心じゃと神様は仰ゃる。ね、もう絶対相手は負けることになっとるとですよ。信心は。それをね、あの逃げようとするから後からガバっとやられる。ね、これをそんならその、取り組むものは何かというとめぐりなんです。ね、
 だからめぐりというのは、もう絶対、正、正しい者にはもう絶対負けることになっとるんですから。そうゆういやば天地の中にはそうゆう決まりがあるです。そうゆうシステムが。例えばここに難儀というものがあるでしょ。その難儀というものの正体はめぐりなんです、いうならば。だからそれから負けて、なるちいうことは絶対ない。だからこちらが一生懸命きついときにはね、めぐりももうヘトヘトになっとるときと思うて間違えないです。もう絶対そうです。
 もうヘトヘトなる時程しなら、程しならもう愈々おかげ間近と思って間違えないくらいです。それでその変な所をグズーグズー本気での信心ができん、神様にその言い訳どんばっかりしてから、はい忙しゅう御座いましたけん、どうで御座いましたけんでちゅうごたるこってそのね、あのそげなん事じゃ絶対おかげ受けられんです。本当私がいつも言うおかげは。もう安易な事では、どうでもおかげ頂きたいなら、やっぱその精神がなからな駄目です。難儀というものは、絶対その正体は巡りなんですから。
 そのなら巡りの中で例えば久富さんなんかは、もう金網が張っちゃる。そこの中で戦いよんなさる。それを逃げ腰どん作っちゃならんち、言う事です。それに本気で取り組む。本気で取り組めばもう絶対勝つことになってる。例えばいかに背水の陣を引いても負けるときは負けるかも知れませんけどね。なら例えばこれが戦争かなんかならですたい、けれども例えば信心の上での戦争も絶対正しいものが勝つことになってるです。
 私共の信心がですね。だから私がいつも言う絶対といえれるというのは、そうゆうわけなんです。正しだからおかげが受けられんなら、あんたに絶対がなかったったいと言う事になるです。一にも神様、二にも神様、三にも神様にいきさえすればよかばってん、一には神様、二には自分、三には神様でつうつうたけんふうでいくから、おかげにはならんとです。ね、やっぱ背水の陣、もう後よりか前に進むより以外にないという、この姿勢を示す以外にはないです。
 どうぞ一つ今日久富さんが頂いておられる、ね、そうゆう心になれば安心じゃという、ね、それを本気で取り組む気になれば。安心じゃということは、絶対はめぐりに打ち勝つごとになっとるとです。けれども世の中にはめぐりに打ち負けておる人たちがどのくらいあるか分りません。それは逃げ腰を作っとるから、ね、神様信心したばってん、おかげ頂ききらんじゃったになるのです。ね、逃げ腰になっちゃつまらん。
  どうぞ。